裁判報道の見方 ~リツイートの法的責任

先日、伊藤詩織氏がはすみとしこ氏を訴えた裁判の判決がありました。
事案としては、はすみ氏が伊藤氏を中傷する画像をツイッターに掲載したことを名誉棄損だとして慰謝料請求したというもののようです。
判決は、伊藤氏が計770万円の損害賠償を請求したのに対して、はすみ氏に88万円、はすみ氏のツイートをリツイートした2名についてそれぞれ11万円ずつの賠償を認めました。

弁護士ドットコム
伊藤詩織さんへの中傷ツイートをRT、11万円の賠償命令 投稿主はすみとしこさんには88万円賠償命令 - 弁護... ツイッターの投稿で名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが漫画家のはすみとしこさんら3人を相手取り、慰謝料など計770万円の支払いと投稿削除、謝罪広...

注目されるのは、そのはすみ氏の画像をリツイートした2名も同時に訴えていたところです。
今回の判決では、「フォロワーに対し、ツイートの内容に賛同する意思を示しておこなう表現行為と解するのが相当」として、リツイートした者についても賠償責任を認めました。
似たような判断がなされた裁判例として、大阪地裁令和元年9月12日判決がありました。この判決でも、リツイート=賛同の意思表示だとして、リツイートした者についても責任を認めました。
ただ、その判決に対しては、「リツイートをすることは必ずしも元ツイートに対する賛同を示すものではない。むしろそのような意思表示としてリツイートする方が稀である」という世論からの反発が上がりました。
そのような世論の煽りを受けたためかどうかは不明ですが、当該裁判の控訴審である大阪高裁令和2年6月23日判決では以下のように判断されました。

「単純リツイートに係る投稿行為は,一般閲読者の普通の注意と読み方を基準とすれば,元ツイートに係る投稿内容に上記の元ツイート主のアカウント等の表示及びリツイート主がリツイートしたことを表す表示が加わることによって,当該投稿に係る表現の意味内容が変容したと解釈される特段の事情がある場合を除いて,元ツイートに係る投稿の表現内容をそのままの形でリツイート主のフォロワーのツイッター画面のタイムラインに表示させて閲読可能な状態に置く行為に他ならないというべきである。そうであるとすれば,元ツイートの表現の意味内容が一般閲読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば他人の社会的評価を低下させるものであると判断される場合,リツイート主がその投稿によって元ツイートの表現内容を自身のアカウントのフォロワーの閲読可能な状態に置くということを認識している限り,違法性阻却事由又は責任阻却事由が認められる場合を除き,当該投稿を行った経緯,意図,目的,動機等のいかんを問わず,当該投稿について不法行為責任を負うものというべきである。」

要するに、賛同するつもりがあったかどうかといった内心とは関係なく、名誉棄損的なツイートをリツイートすること自体が原則として違法だというわけです。
リツイートというのは、元々アウトな内容の表示をコピーしてばらまくようなものですから、このような判断は妥当といえば妥当でしょう。
今回の伊藤氏×はすみ氏の裁判の判決は、大阪高裁よりは大阪地裁の判断枠組みに近かったようです。

個人的には、大阪地裁や今回の判決のように、「リツイート=賛同の意思表示だから違法」という判断は、狡猾な弁解の余地を残すような気がします。
例えば、名誉棄損的なツイートについて、内心では賛同しながら、「こんなツイートはけしからん」などと表面を取り繕ってリツイートするという脱法的手段を容認する恐れがあります。
大阪高裁の判決によれば、そのような場合でも責任を負うことになります。
いずれにしろ、リツイートだから自分がツイートしたわけではない、元々ツイートされていたものであって自分が新しくツイートしたわけではない、よって自分は責任を負わない、などという理屈は通用しません。
リツイートをする前に、元ツイートが問題ないかを一度立ち止まって考えてみる必要があるでしょう。

この記事の執筆者

東京・大阪の二大都市で勤務弁護士の経験を積んだ後、
2008年から実務修習地の札幌で葛葉法律事務所を開設。
相続、離婚、交通事故、会社間の訴訟の取扱いが多め。
弁護士歴約20年。

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