認知症の母は遺産分割協議に参加できる?父の相続で「成年後見人」が必要になるケースと最新の法改正

お父様が亡くなられ、いざ遺産分割協議を進めようとした際、お母様が認知症を発症しているケースは少なくありません。ご家族としては、できる限り穏便に、かつスムーズに相続手続きを進めたいとお考えのことでしょう。
しかし、遺産分割協議は重要な「法律行為」であるため、参加者全員に十分な判断能力(意思能力)が求められます。認知症により判断能力が失われている場合、お母様はそのままでは遺産分割協議に参加できません。無理に進めても、後から手続きが根本から覆るリスクがあります。
本記事では、認知症の相続人がいる場合の正しい対処法や、2026年(令和8年)に成立した成年後見制度の抜本的な法改正など、最新の実務動向を踏まえて解説します。
1. 認知症の相続人がいる遺産分割協議の効力
意思能力がない状態での協議は法律上「無効」
遺産分割協議は、相続人全員の合意によって成立します。そのため、協議に参加する全員が、自分の行為の結果を正しく理解できる「意思能力」を持っている必要があります。重度の認知症などで意思能力がない状態で行われた遺産分割協議は、法律上無効となります。
「書類さえ整っていれば大丈夫」という誤解と実務上のリスク
実務上、最も注意が必要なのは「無効であること」そのものよりも、その後のトラブルです。遺産分割協議書に本人の実印が押され、印鑑証明書が添付されていれば、外形上は書類が整っているため、金融機関や法務局の窓口をそのまま通過してしまうことがあります。
しかし、後になって他の親族や利害関係者から「当時お母様には意思能力がなかった」として裁判(無効確認請求など)を起こされれば、協議は無効として覆ってしまいます。その結果、預金の解約や不動産の登記などをすべてやり直すことになり、多大な時間と費用がかかるだけでなく、深刻な親族間トラブルに発展するおそれがあります。
2. 成年後見制度を利用しない場合の選択肢と限界
成年後見制度を利用せずに相続手続きを進める方法はないのでしょうか。結論から言えば、根本的な解決は難しいものの、当面の危機をしのぐためのいくつかの制度が存在します。
保存行為としての「法定相続分での相続登記」
遺産分割協議(合意)ができない場合、相続人の一人が単独で行える「保存行為」として、民法で定められた割合(法定相続分)の通りに不動産を共有名義にする相続登記手続きがあります。これは全員の合意を必要としないため、お母様に意思能力がなくても可能です。
ただし、不動産が共有状態になるだけであり、将来その不動産を売却したり、担保に入れたりする際には結局全員の意思能力(同意)が必要となるため、問題の先送りにすぎない点には注意が必要です。
預貯金の仮払い制度の活用
遺産分割協議が進まない間、当面の葬儀費用や生活費に困るケースがあります。このような場合、令和元年の相続法改正で創設された「遺産分割前の預貯金の払戻し制度(仮払い制度)」を利用すれば、各相続人は単独で、一つの金融機関につき最大150万円等を上限に預貯金の払戻しを受けることができます。
また、金融機関によっては、全国銀行協会のガイドライン等に基づき、葬儀費用など極めて限定された目的かつ少額に限り、親族からの申し出で例外的に払い戻しに応じる場合もあります。
相続登記の義務化(令和6年4月施行)への対応
2024年(令和6年)4月より相続登記が義務化され、原則として3年以内に登記を行わないと過料の対象となる可能性があります。遺産分割協議が進まず期限が迫っている場合は、暫定的な措置として「相続人申告登記」という略式手続きを利用することで、義務違反を免れることができます。
3. 遺産分割協議を適法に進めるための「成年後見制度」
不動産の売却や、本格的な預貯金の解約などを行うためには、やはり適法に遺産分割協議を成立させる必要があります。そのために利用するのが「成年後見制度」です。お母様に成年後見人を選任することで、後見人が代理として遺産分割協議に参加できるようになります。
以下に、関連する重要な法律用語を整理します。
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 成年後見制度 | 認知症などで判断能力が不十分な方を保護し、法的な支援を行う制度。 |
| 成年後見人 | 家庭裁判所によって選任され、本人の財産管理や身上保護、契約等の代理を行う人。 |
| 被後見人 | 制度を利用して、支援や保護を受けるご本人のこと。 |
| 特別代理人 | 後見人と本人の間で利益が衝突する場合に、遺産分割協議等のために家庭裁判所が一時的に選任する代理人。 |
4. 申立ての手順と気になる費用・専門家が選ばれる実態
成年後見制度を利用するためには、本人の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行い、1ヶ月〜2ヶ月程度の審理を経る必要があります。この際、費用や後見人の選任について、実務上の正確な実態を知っておくことが重要です。
精神鑑定の実態(約9割は不要)
かつては「成年後見の申し立てには高額な精神鑑定が必要」と言われていましたが、現在は家庭裁判所の運用が改善されています。最新の司法統計(令和5年)によれば、医師の診断書のみで審理が進められ、精神鑑定が実施されるのは全体の5〜10%程度に過ぎません。鑑定が行われた場合でも、費用は5万円〜10万円以下に収まるケースが大半です。
親族が後見人になれるのは約2割
「家族が申し立てれば、自分が後見人になれる」と考えがちですが、実態は異なります。遺産分割協議など財産関係が動く事案や、親族間で意見の対立がある場合、裁判所の判断により弁護士や司法書士といった「専門職後見人」が選任される確率が約8割に上ります。
専門職が選任された場合、本人の財産額や事案の複雑さに応じて、目安として月額2万円〜5万円程度の継続的な報酬が発生し、原則として本人が亡くなるまで支払いが続きます。
5. 【2026年(令和8年)成立】成年後見制度の抜本的改正
これまでの成年後見制度は、一度利用を開始すると原則として本人が亡くなるまで終了できない「終身制」であり、利用をためらう家族が多いことが課題でした。しかし、2026年(令和8年)6月に「民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)」が成立・公布され、制度が抜本的に見直されることになりました。
後見・保佐の廃止と「補助」への一元化
この改正の最大のポイントは、本人の権利を包括的に制限してきた従来の「後見」「保佐」という類型が完全に廃止され、本人の自己決定権を尊重する「補助」制度へ一元化される点です。これにより、一生涯にわたってすべての財産管理を強制されるのではなく、遺産分割協議などの必要な場面・必要な期間に絞って、ピンポイント(スポット利用)で代理権を設定できるようになります。
施行時期と経過措置について
この新しい法律は、公布の日(2026年6月24日)から2年6ヶ月以内(遅くとも2028年末頃まで)に施行されます。したがって、現時点での手続きはまだ旧法(現在の制度)が適用されます。
すでに制度を利用している方や、施行前に手続きを終えた方については、新制度施行後も当面は現在の枠組みのまま利用を継続することも、新たな補助の申立てをして新制度へ移行することも可能な経過措置が設けられています。
6. 家族が後見人になる場合の「利益相反」と特別代理人の厳格な審査
もし、子が親(母)の成年後見人に選任された状態で、父の遺産分割協議を行う場合、「利益相反」という問題が生じます。子も母も同じ父の相続人であるため、子の取り分を増やせば母の取り分が減ってしまう関係にあるからです。この場合、子は後見人として母の代理を務めることはできず、家庭裁判所に「特別代理人」の選任を申し立てる必要があります。
※なお、すでに「成年後見監督人」が選任されている場合は、特別代理人を選任することはできず、監督人が母を代理して協議に参加することが法律で定められています。
家庭裁判所による「法定相続分の確保」という厳格な審査
ここで非常に重要な実務上の注意点があります。特別代理人を選任する際、家庭裁判所には「遺産分割協議書案」を提出しますが、裁判所は被後見人(お母様)の財産を保護する立場にあります。
そのため、「お母様には財産を渡さず、子がすべて相続する」といった協議内容は原則として許可されません。家庭裁判所は、お母様が「法定相続分以上の財産を確実に確保できる内容」でなければ、特別代理人の選任や協議を認めない運用が一般的です。形式的に代理人を立てれば自由に遺産を分けられるわけではない点に、十分な注意が必要です。
7. まとめと専門家への相談のすすめ
認知症の相続人がいる場合の遺産分割は、当事者だけで無理に進めると無効になるリスクがあり、一方で成年後見制度を利用する場合には、費用や裁判所の厳格なルール、そして利益相反の問題など、数多くのハードルが存在します。さらに、2026年に成立した法改正により、今後の制度運用は大きく変わっていく過渡期にあります。
ご家族の状況、遺産の内容、そして将来の介護方針などによって、今すぐ成年後見制度を利用すべきか、仮払い制度などで当座をしのぐべきか、最適な解決策は異なります。
後から取り返しのつかないトラブルを防ぐためにも、遺産分割や相続手続きでお悩みの方は、まずはお早めに法律の専門家にご相談ください。最新の法令や裁判所の実務運用に基づき、ご家族にとって最も安心できる手続きをご提案いたします。
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